西法寺について

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天台宗 大楽山 西法寺

西法寺とは比叡山延暦寺を本山とする天台宗の寺院である。比叡山は日本仏教の母山とも称され、法然上人、親鸞聖人、良忍上人、一遍上人、真盛上人、栄西禅師、道元禅師、日蓮聖人など日本仏教の各宗の祖師が比叡山で学んだ。

西法寺は元々は現在の位置より山奥に本堂があり、七堂伽藍と二十二の支院をもつ一大精舎であった。

西法寺略縁起

開 基

 斉明七年(661)斉明天皇が伊予の国熟田津(にきたつ)に御船泊、霊夢を感じ、国司乎智宿弥守興(おちすくねもりおき)に勅して、法興律師(ほうこうりつし)を迎え伽藍を建立し、大樂山東光院西方寺(西法寺)と号した。

 古 代

 天武九年(680)天武天皇が道後温泉に行幸されたとき、皇后の病気平癒のため西法寺に祈願。その御礼に薄墨の綸旨(りんじ)と桜を賜る。この桜が後に薄墨桜と称される。
 平安時代、西法寺は現在地より奥の勝岡山(かつかさん)にあり、天台宗に属し七堂伽藍を備え、二十二の子院を持つ一大精舎であった。

 中 世

 弘安年間(1280頃)戦乱の世に荒廃していた西法寺を河野通有(こうのみちあり)が再興。釈迦如来座像(県指定文化財)を奉納。
 天正十三年(1585)秀吉の四国征伐により諸堂が炎上、その後現在地に移転。

 近 世

天保十四年(1843)本堂を再建。
文久三年(1863) 薄墨桜の玉垣を造る。
明治三十五年(1902)仁王門を再建。
昭和三年(1928)鐘楼堂を再建。

 現 代

平成六年(1994)阿弥陀堂・庫裡・位牌堂を増改築。

西法寺の句碑

薄墨の綸旨かしこき桜かな

(うすずみの りんじかしこき さくらかな)

柳原極堂(きょくどう)作

柳原極堂直筆の句碑

昭和27年 郷土顕彰会 建立

なる鐘の音よき日な里初桜

(なるかねの おとよきひなり はつざくら)

乗松春甫(しゅんぽ)作

元伊台村 村長

昭和41年 薄墨俳句会 建立

ふり返りみるふるさとの山粧ふ

(ふりかえり みるふるさとの やまよそう)

中野立城(りつじょう)作

伊台出身、高砂建設(東京)社長

昭和46年建立

観音の丘へ涼しき樹下の径

(かんのんの おかへすずしき じゅかのみち)

中山梟月(きょうげつ)作

俳句誌「柿」の主催者

平成7年建立