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本 堂

江戸時代後期に建立された。御本尊は薬師如来で、秘仏として祀られている。

屋根は蟇股(かえるまた)、瓦は本瓦葺き(ほんがわらぶき)、菊の御紋。天井は格天井(ごうてんじょう)で、諸仏、天女等が描かれている。平成6年に施餓鬼堂を増築し、8月23日の施餓鬼会では松山部の天台寺院僧侶による行道の読経が行われている。

薬師如来 御真言「おんころころせんだりまとうぎそわか」

仁 王 門

明治35年の建築。寺院を守護する金剛力士が安置されている。開口の阿形(あぎょう)像と、口を結んだ吽形(うんぎょう)像の2体を一対とし、寺院内に仏敵が入り込むことを防ぐ。

西法寺の仁王門は境内から約200m離れた場所にある。今は住宅となっているが、かつて七堂伽藍を備え、二十二の子院を持つ一大精舎であった名残がある。

十三仏と一代守本尊

十三仏(じゅうさんぶつ)とは、追善供養(初七日~五十回忌)を司る仏様であり、故人の菩提を祈る場となっている。また、干支の一代守本尊(いちだいまもりほんぞん)としてもよくお参りされる。西法寺では十三仏と一代守本尊が一緒になっており、合計16体の仏様が祀られている。

延命地蔵尊

江戸時代(亨保五年、1720年)建立。西法寺の入口にある。地蔵菩薩の内、特に延命を功徳とする地蔵尊。人々の寿命を延ばす御利益がある。後世は、短命・若死にを免れるため信仰された。

山 王 社

社(やしろ)は平成5年4月建立、鳥居は平成9年3月30日建立。山王社(さんのうしゃ)は滋賀県坂本の日吉大社(比叡山の鎮守社)の祭神「山王七社マンダラ」を勧請した、西法寺の鎮守社である。山王社から境内が一望できる。

米山の書

松山を代表する書家として、明治時代に日尾八幡神社の神主であった三輪田米山があげられる。その米山が明治25年、西法寺を訪れた際にこの「薄墨桜」を書き残した。米山の一生を綴った『米山日誌』にも西法寺を訪れたという記録が残されている。

鐘 楼 堂

昭和3年建立。この鐘楼には太平洋戦争の時代の逸話が残っている。戦時中は鉄が貴重なため、各寺院の鐘楼を溶かして武器にする風潮が強まった。西法寺の鐘楼も溶かして武器にするために没収された。しかし輸送中に戦争が終了し、戦果が落ち着いた頃、香川県高松で発見された。武器にされることなく、奇跡的に西法寺に帰ってきた。以降、平和の鐘として伊台の地に荘厳な音色を響かせている。

観桜の小路

境内の向山には、約200本のソメイヨシノや陽光などの桜が植えられている。檀家総代により年に2度の下草刈り、消毒等により手入れが行き届き、毎年見事な花を咲かせる。観桜の小路からの景色はすばらしく、境内が一望でき、花見の時期には、ここでお弁当を広げる家族連れも多い。

観音の丘(永代供養墓)

観音の丘は平成17年に完成。近年、少子化・核家族化が進みお墓に対しての考え方が変わりつつあり、この観音の丘も、合同墓の形態をとっている。平成29年に増築。

 

永代供養について

 

位 牌 堂

位牌堂にて歴代住職の位牌、新仏の白木位牌、家別の繰出位牌(永代供養)を祀っている。位牌の永代供養は、供養や維持管理を永代に渡って行うため、継承問題や無縁化の心配がない。今現在祀る先祖のない方も予約ができる。

 

永代供養について